よく「愚痴は仕方ないが、悪口は良くない」と言われます。生きている限り、嫌なことがあるのもそれをこぼしたくなるのも仕方のないことでしょう。しかし、誰かや何かの悪口を言うのは、あまり褒められたものではありません。
では、愚痴と悪口は具体的にどう違うのでしょうか。愚痴という言葉のもともとの意味や悪口との違い、愚痴をこぼすときの注意点などを詳しく見ていきましょう。
そもそも愚痴の意味とは?仏教用語って本当?
「愚痴」とは「言っても仕方のないような不平不満を言い、嘆くこと」を指します。「くどくどと愚痴を言う」「あの人は愚痴を言ってばかり」など、あまり良い意味で使われる言葉ではありません。それでも言わずにいられないのが愚痴であり、愚痴を全くこぼしたことがない、という人はなかなかいないのではないでしょうか。
この「愚痴」という言葉はもともと仏教用語で、仏教における「愚痴」とは、「仏の智慧に暗いこと、物事の真実を知らないこと」を指します。また、そうした智慧や真実を「知ろうとしないこと」も「愚痴」と呼びます。「愚痴」は人間の煩悩の中でも特に性質の悪いものとして、「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」とともに「仏の三毒」と言われています。
「貪欲」とは現代で言う「貪欲(どんよく)」と同じような意味で、むさぼることを意味します。「瞋恚」は現代ではあまり使われない言葉ですが、怒りの心を表します。「貪欲の病には骨相観を、瞋恚の病には慈悲観を、愚痴の病には縁起観を教える」と涅槃経(仏教の一種)では説かれていますが、つまりはそれぞれの煩悩に対して解決できるような考え方を教える、ということです。
ここで、「愚痴の病には縁起観を教える」とあります。縁起とは現代の言葉では「吉凶のきざし」のような意味で使われることが多いのですが、もともと仏教では「この世界で起こるさまざまな物事の仕組み」を表します。この世界に存在しているものやことは、すべてお互いが関わり合って存在している、ということです。
つまり、嫌なことや納得できないことがあっても、それには必ず起こる理由があり、その理由を「縁起」と呼ぶのです。ですから、起こったことに対して不平や不満を言うだけでなく、そのことが起こった理由、すなわち「縁起」を知らなくてはなりません。そうすることによって、私たちは「愚痴」の状態から解放され、不平不満を漏らすこともなくなるというわけです。
「愚痴」という言葉は、大元を辿ればインドの古典語であるサンスクリット語の「moha(モーハ)」が語源だとされています。「moha」は中国語に翻訳された際、「愚痴」と訳された場合と、「莫迦」や「馬鹿」と訳された場合がありました。つまり、「愚痴」と「馬鹿」は語源が同じと言えるでしょう。「物事の真実を知らないこと、知ろうともしないこと」と考えると、語源が同じということにも納得できそうです。
現代で使われる「愚痴」という言葉の意味とは一見関係がなさそうですが、昔の日本人が「ストレスを発散するために、他人に不平不満を漏らすこと」を「愚痴」と呼ぶようになったからには、そこに何らかのつながりがあるはずです。例えば、愚痴をこぼす人は「わかっていない」のかもしれません。
例えば、親に叱られたことの愚痴を友だちにこぼす子どもは、親の真意を「わかっていない」のでしょう。パートナーと喧嘩をしたことの愚痴を同僚にこぼす人は、相手の気持ちを「わかっていない」のかもしれません。もちろん全ての例がそうとは限りませんが、愚痴をこぼしている側が「わかっていない」ということも往々にしてありそうです。
また、科学や研究が進み、今までわかっていなかったことがわかるようになり、「愚痴」の対象が減ることもあります。例えば、職場でミスの多い人は長年、頻繁に愚痴の対象になっていましたが、近年「発達障がい」という概念が一般的に知られるようになり、子どもだけでなく大人になってから気づく人も多いことも合わせて浸透してきました。
つまり、ミスが多いのはこれまで「本人の努力が足りないからだ」などと決めつけてこられたのですが、今では全く違う理由、仕組みだということが解明され、むしろ本人が最もパフォーマンスを発揮しやすい環境に身を置けば定型発達の人と同じように仕事ができることがわかってきました。
このように、人間は物事の仕組みがわかっていないとついつい「愚痴」をこぼしてしまいがちですが、「愚痴」はそもそも自分自身の無理解の現れなのかもしれません。「自分がわかっていないだけかもしれない」といったん考えてみることで、「愚痴」の状態から抜け出せることも多いでしょう。
愚痴と悪口はどう違うの?
では、「愚痴」と「悪口」はどう違うのでしょうか。まず、重要なポイントを5つ、対比させながら見ていきましょう。
- 主語の違い
- 愚痴:主語は「自分」であり、自分の気持ちを吐き出すもの
- 悪口:主語は「(ここにいない)誰か」であり、他の人を悪く言うもの
- 立場の違い
- 愚痴:言っている側の精神的な立場が下であり、同情してもらいやすい
- 悪口:言っている側の精神的な立場は上であり、悪口を言われている人に同情が集まる
- 攻撃性の有無
- 愚痴:攻撃性はなく、誰かを傷つけるものではない
- 悪口:攻撃性があり、誰かを傷つけてしまう。さらには、聞いている人も「いつか自分も攻撃されるのだろう」と思う
- 本人の前で言えるかどうか
- 愚痴:言えないとは言いきれない
- 悪口:基本的に言うことはない
- きっかけの有無
- 愚痴:理不尽なことや仕事のストレスなど、必ずきっかけがある
- 悪口:「なんとなく嫌いだから」など、きっかけがない場合もある
このように見ていくと、あまり好まれない「愚痴」ではありますが、「悪口」と比べればまだ良いと言えるのではないでしょうか。また、誰かに対して「愚痴」ではなく「悪口」を言ってしまう人は、以下のような心理的要因を持っていることが多いとされます。
- 悪口を言っている相手に対して、心理的に嫌な印象(劣等感や自信のなさ)を持っている
- 相手が自分の思い通りにならず、鬱憤を溜めている
- 相手より優位に立ちたいと思い、なんとか貶めてやろうと思っている
- やられる前にやる、自己防衛が過剰である
- 相手に嫌なことをされたので、怒りを抱いている
- 日々大変な思いをしていて、苦労に対し同情や癒しが欲しい
悪口を言う人のほとんどは、劣等感や自信がない人や、相手を意のままに操れないと気が済まない我侭な人、相手より優位に立ちたいマウンティングが好きな人など、人付き合いがあまり上手でないタイプの人です。つまり、悪口を言う人はその人自身の問題であることが圧倒的に多いので、本来は自分自身で乗り越えるべきなのです。
ただし、一部には「相手にいつも無理なことを言われたり要求されたりしていて、何も言い返せない事情がある」という場合もあります。このような場合は、多少同情の余地があるのかもしれません。また、こうした状況で辛くても悪口を言わずに耐え続け、ストレスを溜め込んで鬱を発症してしまうという人がいることも事実です。
悪口を言う人に不快になってしまうのはごく当たり前の感情ですが、中には上記のようにのっぴきならない事情を抱えている人もいます。その人が悪口を言わずにいられないような状況なんだ、という事実だけを受け止め、当たり障りなく聞き流してあげる、という優しさも必要かもしれません。
愚痴を言う、愚痴をこぼすのはいけないこと?
さて、前章でご紹介したように、悪口を言ってしまうことと比べれば、多かれ少なかれ理不尽なことが原因であり、誰かを攻撃する意図のない愚痴はそれほど忌避されるものではないと言えるのではないでしょうか。愚痴を言った後には気持ちがすっきりするというメリットもあり、愚痴は完全な悪者ではないのです。
ただし、愚痴は「こぼす」と言うように、こぼれた愚痴は誰かが拾ってくれています。つまり、誰かがこぼした愚痴は、誰かが聞いてくれているのです。その相手がもともとおおらかでうまく愚痴を聞き流してくれる人なら良いのですが、聞き流せないタイプの人にこぼしてしまった場合、ストレスの負担をかけてしまうこともあります。
そこで、愚痴をこぼしたときにはまず自分で「あ、愚痴を言ってしまったな」と気づき、話し終えたら最後に「愚痴を言ってしまってごめんね」「聞いてくれてありがとう」など、愚痴を拾ってくれた相手にしっかり感謝しましょう。話している最中は気づかなくても、気づいた時点で相手への感謝を伝え、相手にかけた負担をしっかり自覚しておくことが大切です。
また、愚痴は完全な悪者ではないとお伝えしましたが、場合によっては愚痴を溜め込みすぎてストレスから心身の調子を崩してしまうこともあります。特に、「愚痴を言う自分は悪い人間だ」「成功している人は愚痴を言わない、と聞く」といったように、内省的で真面目な人ほど気持ちを抱え込んでしまいがちです。
なんでもかんでも愚痴しか言わず、何も努力をしないのは確かに良くないことでしょう。しかし、溜まったストレスを愚痴として吐き出し、スッキリとしてまた前に進むことができるなら、愚痴も悪いことばかりではありません。ネガティブな気持ちを抱え込みすぎず、愚痴と上手に付き合える方法を模索していきましょう。
愚痴を言うときに心がけること
では、愚痴を言うときには具体的にどんなことに気をつければ良いのでしょうか。それをお話する前に、そもそも愚痴の生まれやすい7つの状況について見ていきましょう。
- 日常生活で感じるイライラ
- 悪天候、電車の遅延、人にぶつかられた、物を落としたなど
- 疑いや不安
- パートナーへの不信感、将来への不安感など
- コンプレックス
- 容姿、学歴、性格、生まれなど
- 愛情からの心配
- 友人や家族など、身近な人に対する心配が募ってしまう
- ディス・コミュニケーション
- 部下が指示と違うことをしている、上司の指示通り動いていたのに怒られた、など
- 期待が裏切られた
- プレゼントを喜んでもらえなかった、会社からの評価が思ったよりも低かった、など
- 理想と現実のギャップ
- 自分には無理だ、できない、と思ってしまう
生きていく上でこうした場面は無数に存在しますので、避けようと思って避けられるものではありません。自分の力ではどうにもならない不可抗力で起こってしまうことだからこそ、不平や不満が愚痴として生まれてしまうのです。しかし、前述のように愚痴は上手に吐き出せば、言った後にスッキリと前に進めるメリットもあります。
逆に、言った自分自身も周囲もネガティブにしてしまうような愚痴とは、間違った吐き出し方をしている愚痴です。間違った吐き出し方とは、「愚痴が愚痴のまま終わってしまう」という吐き出し方を指します。例えば、「今週もまた月曜日が来た。嫌だなあ」「下ろしたての靴を踏まれた。最悪!」「○○は要領が良くて仕事ができるけど、自分はできないから」などといったものです。
このような「言いっぱなし」の愚痴は、自分も後味が悪いですし、言われた方もネガティブな感情をぶつけられただけで、お互いに不快な気持ちで終わってしまいます。あまりにいつもこうした愚痴ばかり言っていると、いつしか「ネガティブな人」という評価で周囲から敬遠されてしまうかもしれません。
そこで、愚痴を言うときは「正しい吐き出し方」を身につけましょう。具体的には2つのステップを踏み、第1段階で「自分の中に生まれた愚痴をそのまま吐き出し」、第2段階で「第1段階の愚痴を、ポジティブに変換する」という順番で行います。例えば、先程の間違った吐き出し方を、正しい吐き出し方に直してみましょう。
- 「今週もまた月曜日が来た。嫌だなあ」「でも、今日が終われば休みまで1日減るな」
- 「下ろしたての靴を踏まれた。最悪!」「今度は掃除しやすいタイプの靴を買おう」
- 「○○は要領が良くて仕事ができるけど、自分はできないから」「やり方を真似してみようかな」
このように、「ネガティブな心情を吐露する」→「それを、ポジティブに変換する」という手順で話せば、自分自身も前を向くことができますし、話の終わりがポジティブなので、話された周囲の人もポジティブのイメージに引きずられるため「ネガティブな人」というイメージを抱きにくくなります。
実際に、韓国のソウル国立大学の研究によれば、人間は「悪いニュースやイベント」→「良いニュースやイベント」の順番に話すと、より幸福感を感じやすいことがわかっています。ですから、愚痴を言うときもネガティブなところで終わらず、その後にポジティブな変換をすれば、自分も他人もポジティブなイメージを持てるのです。
とはいえ、愚痴はネガティブな感情からついぽろりと出てきてしまうもので、なかなかポジティブに変換するのは難しいかもしれません。そこで、愚痴をポジティブ変換するための4つのポイントをご紹介します。自分ではなかなかポジティブな変換を思いつきにくい人は、ぜひ以下のポイントを試してみましょう。
- 別の視点を持つ
- 愚痴を吐き出した後、続けて「〜と見せかけて」「だと思うでしょ?」といった言葉を口にする
- 無理にでも視点を変える言葉を続けて、自分の思考を別の視点に移動してみる
- 視点の切り替えになるようなキーワードをいくつか持っておくと、切り替えやすい
- 楽観視する
- 「まあ、なんとかなるか」「なるようにしかならないよね」と楽観視するのも手
- 一見、何の解決にもなっていないようだが、ネガティブな感情に支配されていると脳のパフォーマンスも下がるため、良いアイディアも生まれない
- あえて一旦楽観視して思考を止めることで、ネガティブな感情を止める方法
- 茶化してしまう
- 愚痴を吐き出しているときは、思考も場の空気も深刻になってしまいがち
- 愚痴の内容を茶化して笑いに変えてしまうと、場の空気も思考も柔らかくポジティブに
- サラリーマン川柳やシルバー川柳などは、茶化しの名手が多いのでぜひ参考に
- どうにか茶化せないか、と考えているだけでもネガティブな感情が薄れるので効果的
- ぼかす
- どうにも手が思いつかなければ、「かも」「気がする」「それほどでもないか」といったぼかしを入れる
- ネガティブな感情をぼかすことで、ストレートにぶつけてしまうのを防げる
- 「最低」「最悪」などの大げさな表現は、逆にネガティブな感情を増幅させるためNG
そして、前章でもご紹介したように、愚痴をこぼしてストレス発散した場合、ポジティブで終わったときもぜひ愚痴を拾ってくれた相手には感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。小さな感謝の気持ちに目を向けることも、ネガティブな感情に囚われてつい愚痴っぽくなってしまう状態から解放してくれる糸口になるものです。
また、粗探しのようにいつも愚痴を探してしまっているような人もいます。しかし、愚痴を探すよりも感謝の気持ちや嬉しいことを探した方が、心が穏やかになり、前向きに生き生きと毎日を過ごせるでしょう。ぜひ、感謝の心や小さな喜びを忘れず、愚痴を探しているような自分に気づいたら「日々の良いこと探し」に切り替えていきましょう。
気づいてしまうと「こんなに愚痴を言っている自分なんて」と、辛い気持ちに陥ってしまうかもしれません。しかし、より良いステップに上がるためには、まず今の悪い状態に気づくことが大切なのです。何歳になっても、いつからでも遅すぎるということはありません。気づいたときから、少しずつできることを実践していきましょう。
おわりに:愚痴は悪いことばかりではない。言った後はポジティブ変換を
愚痴はもともと仏教用語で、「物事の真実を知らないこと、知ろうともしないこと」といった意味の言葉でした。それが現代では、「言っても仕方のないような不平不満を言うこと」という意味になっています。
しかし、愚痴は全てが悪いことではありません。自分の素直な気持ちを吐き出し、その後にポジティブな変換ができれば、スッキリと前に進めるでしょう。もちろん、聞いてくれた人にも感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。
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